実験08

椅子がたくさんある美術館で椅子の歴史に思いをはせる 椅子がたくさんある美術館で椅子の歴史に思いをはせる

世の中の動かしてみたいアレやコレやにingを足したらどうなるのかやってみたコクヨの実験

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椅子のウェブサイトの記事を執筆しておきながら、こういうことを言うのははばかられるけれど、率直な気持ちとして、椅子そのものに注目することってあまりなかった。
まして、椅子がどのように進化してきたのかなんてのも、今まであまり考えることはなかった。

世界最古の椅子は…世界最古の椅子は…

人類は、おそらく、野山をかけずりまわり、獲物をとらえていた太古より「なにかに腰掛ける」ということはしていたはずだ。

なにかに腰掛けるということは、足を体重から解放し、かつ、地べたに座るよりも関節を無理に折り曲げなくてもよいので、とても楽なのだ。

まだ言葉や道具が未発達であった時代であっても、ちょうどよい石や木、段差などがあれば、自然に腰を掛けていたはずだ。

しかし、腰掛けるためだけの家具としての椅子はどうだろうか?

調べると、現存する世界最古の椅子は、エジプトのカイロにある「エジプト考古学博物館」に収蔵されている「ヘテプヘレス王妃の椅子」だと言われている。

Hetepheres_chair/『ヘテプヘレス王妃の椅子』(不詳)紀元前4000年頃(C)Jon Bodsworth

紀元前21世紀ごろのものと言われているので、今から4000年以上前のものである。つまり紀元前2000年、日本ではまだ縄文時代だ。

シンプルだが優雅な形の椅子である。

椅子の歴史について考えてみたい椅子の歴史について考えてみたい

ingは、もちろん今までの椅子とは一線を画する椅子であることは、当サイトの様々な実験により、みなさんご存知のことだと思う。

しかし、過去に存在した椅子、そしてその発展があってこそのingであるということも、まぎれもない事実である。

過去の椅子がどんなだったのか知ることは、決して無駄ではない。

そこで、昔の椅子を実際に座れる形で展示しているという「埼玉県立近代美術館」にingの開発を担当したコクヨの木下さん、そして私、西村がうかがい、昔の椅子を色々と見せてもらうことにした。

右から、埼玉県立近代美術館の飯島さん、ライター西村、コクヨの木下さん

案内してくださった、埼玉県立近代美術館の飯島さんによると、埼玉県立近代美術館では、開館した1982年から来館者が実際に自由に座れる形で、椅子のコレクションを展示している。

どの椅子も、デザイン的に優れていたり、美術的に価値のあったりする椅子だ。そんな椅子に、来館者が自由に座っていいというのは、美術館にとっては、買ってきた雪見だいふくを、人にひとつ分けてあげるぐらい大変なことである。

デカイ椅子からおしゃれな椅子までデカイ椅子からおしゃれな椅子まで

まず、目についたのはこの椅子。

『XL (プランクトン1.8)』(graf)2004年

デザインは普通の椅子。しかし、実際に人が座ると。

子供ですか?

こうなる。

通常の椅子の、1.8倍のサイズに作ってあるため、普通、大人が座っても足が届かない。

つまり、どんな偉い人でも、どんな立派なことを言っても、足がブラブラしているので、説得力がゼロになってしまうという、「権威」を飲み込むブラックホールのような、椅子である。

そんな、おもしろいコンセプトの椅子があると思うと、こんな椅子もある。

『ヒルハウス1』(チャールズ・レニー・マッキントッシュ)1903年

背もたれがまっすぐでやたら高い。

「座りにくそう」という思いと、「これがおしゃれか」という思いが交錯する。

実際に、座ってみると……。

うーん、座り心地はそんなでもないなー

あ、座りにくい。確かに座りにくい。(写真が急に縦位置になって赤っぽいのは心象風景を表してみた)

想像通りの座り心地ですねこれ……

この椅子は、イギリスの建築家でデザイナーの、チャールズ・レニー・マッキントッシュが1903年にデザインした『ヒルハウス1』という椅子ですね。

マッキントッシュのこの椅子は、もともと彼が設計した『ヒルハウス』という家のベッドルームに置かれたものですね。家の建築に合わせてデザインしているので、デザイン優先であまり座り心地は重視してない。もっとも、ベッドルームに置く椅子だから、そんなに長時間座るものではないので、こういう形をしてるんだと思います。

木下さん、めちゃめちゃ詳しい!

うっかり、美術館の学芸員かと思うほどの解説。さすが椅子を開発するだけあって、椅子に詳しい。考えてみれば当たり前のことなのだが。

木下さん、椅子に詳しい!

椅子に、建築家が設計したものが多いのは、すべて、家の設計と込みでデザインされているからなんです。

欧米は、古い家などは、家具は家に付属するものという考え方がある。建物は、収納や、テーブル、椅子などすべて込みで作られている。そのため、建築家が椅子を設計するというのは自然なことだったのだ。

今のイケアやニトリみたいな店に、椅子だけ買いに行くというのはあまり無かったんですかね。

なくはないと思いますけど、当時は、今ほど安くて高品質な椅子はなかなか売ってなかったんじゃないかな。

座りやすさとはなんなのか座りやすさとはなんなのか

そもそも「座りやすさとはなにか?」 という問題がある。

椅子はいったいどんな形が座りやすいのか? むかしから試行錯誤されてきた歴史がある。

例えばこんな椅子もあった。

『ブルム』(オリヴィエ・ムルグ)1968年頃

人のような形の椅子。

これは、フランスのデザイナーのオリヴィエ・ムルグが1968年ごろにデザインしたブルムという椅子です。

まさに人型の椅子ですね、座り心地よさそう。

木下さんが実際に座ってみた。

座り心地はいい、いいけど、立ち上がる時がちょっと大変だ。

ほぼ、床に仰向けになるぐらいの、低い位置に座ることになるため、立ち上がろうとするとき、少し立ち上がりにくい。

椅子の座り心地は、単純に、人のからだの曲線に沿って作ればいい。というものでもないということが分かる。
椅子のデザインは一筋縄ではいかない。おしゃれさを追求すると座り心地が悪くなる。しかし、座り心地がよいものをつくるとなると、形が複雑になってくる。そのバランスが難しい。

『ガーデン:リトル・ツリー』(ペーター・オプスヴィック)1985年

この椅子にいたっては、座り方が分からない。

こう座るんじゃないですか?

またがるのか?

またがって座る?

どう座ってもらっても大丈夫ですけど下の小さな丸に足をかけて寄りかかってもいいですね。

この椅子はペーター・オプスヴィックの『ガーデン:リトル・ツリー』という椅子だ。

「座り方」というものの概念が根本から覆るようなそんな形をしている。

素材としての木素材としての木

椅子を見ていると、つい、形の奇抜さなどに気持ちが行きがちだけれども、作りの細かさにも注目したい。

例えばこちら。

『スツールST−6』(ムンドス社)20世紀

リング状にした曲げ木を6つ使っただけのシンプルなデザインだが、ちゃんと椅子になっている。

この椅子はムンドス社というオーストリアの会社が20世紀中頃に製造した椅子ですね。

木の棒をこういう形に曲げて作る『曲木(まげき)』の技術は、19世紀に、ミヒャエル・トーネットという人が開発して、実用化したんです、これが革命的だったんです。

木を曲げる技術がですか?

そうです。それまで、木の加工は、切るか、削るか、ぐらいしかなかったので、曲線を多用したデザインの椅子を作るのに、とても手間がかかった。しかし、トーネットが木の棒を蒸して曲げる技術を開発してから、安く、大量に高品質な椅子を作ることができるようになった。よく、喫茶店とかに置いてある『トーネットチェア』というもの見たことありませんか?

『曲木椅子(トーネットチェア)』ミヒャエル・トーネット1880年

あー、曲木で作ってある椅子ですね、見たことあります。

それがものすごく売れて普及したんです。以降、工場で椅子を大量生産するということが行われるようになったんです。

椅子のデザインは、こういった技術革新によって、進化をとげていく。

「スタッキング」できるということ「スタッキング」できるということ

この椅子は、木の板を使っているだけですけど、形がすごいですね。

『ジグザグ』(ヘリット・トーマス・リートフェルト)1932−33

これは、ヘリット・トーマス・リートフェルトの『ジグザグ』という椅子ですね、1930年代の椅子です。

1930年代? 90年近く前ですか? そんな風には見えないモダンな形してますね。

座面も、少し角度をつけて、台形になっているところなんか、デザインが細かいですね。

形が単調にならない工夫でしょうか、なるほど……この椅子は、この形だと、スタッキングして(重ねて)収納できますね。

それを意図していたかどうかは分からないですけど、確かに可能ですね。

この、ジグザグチェアは、後の椅子のデザインに大きな影響を与えており、1960年代にヴェルナー・パントンが発表した「パントンチェア」は、あきらかにスタッキングできるということを念頭にデザインされた。

『パントンチェア』(ヴェルナー・パントン)1960年

現在、スタッキングして収納できる椅子は、ごく普通にありふれているけれど、その源流は、90年近く昔にあったといえる。

90年前のパイプ椅子?90年前のパイプ椅子?

これは、普通にちょっといいパイプ椅子って感じですかね。

『ワシリーチェア』(マルセル・ブロイヤー)1925年

いや、これはそれどころじゃないです。名作椅子のひとつですよ。

これがですか?

これは、1925年に、マルセル・ブロイヤーがデザインした『ワシリー・チェア』ですね。どこがどうすごいか分かりますか?

え、なんだろう? 色が黒い?

いや、違います。これは、世界で初めて金属パイプを用いて作られた椅子なんです。

え、それまで金属は使われてなかった?

メインの構造に金属パイプを用いた椅子はなかったんですね。

言われてみれば、1925年って日本の感覚で言うと、戦前か。90年以上前ですよね。その頃のデザインだと思うと……確かにすごい。

現在、パイプ椅子っていわれる椅子が世の中に溢れていますけれど、金属パイプを使った椅子の先駆けとなるわけですね。

パイプ椅子

プラスチックの登場プラスチックの登場

『プラスチックアームチェア』(チャールズ&レイ・イームズ)1948年

こちらの椅子は、ご存知の方も多いかもしれない。あの「イームズ」の『プラスチックアームチェア』だ。

イームズ……椅子に全く注意を払ってこなかったぼくでも、名前は聞いたことあります。

イームズは、アメリカのデザイナーで、安価に手に入る素材で、大量生産でき、かつ、形として優れているものを常に追求した人ですね。この椅子は、座面がプラスチック(ポリプロピレン)で、わりと新しいものだと思いますが、古いものだと、FRP(繊維強化プラスチック)製のものもありますね。

あたらしい素材や技術をどんどん取り入れたんですね。

これの肘掛けのないバージョンの『プラスチックサイドチェア』は、後に、ベンチの椅子のデザインの元になってます。それぐらい影響があったんです。

『プラスチックサイドチェア』(チャールズ&レイ・イームズ)1948年

あ、確かに、駅とかでよく見かける椅子に形が似てますね。

駅のベンチ

その用途に合った椅子をその用途に合った椅子を

上で紹介した椅子は、展示してある椅子のごくごく一部でしかない。

これ以上の、さまざまな椅子が展示してあるのだが、いちいち紹介していてはらちがあかない。

ひとまず、椅子に詳しい方に来て頂き、お話をうかがった。

埼玉県立近代美術館学芸主幹・平野到さん

今まで、椅子というものにあまり注目してこなかったことを悔やむほど、いろんな椅子があって、面白かったです。

この美術館を設立した当初の館長だった本間正義さんという人が、デザインの椅子が大好きな人で、美術館の空間をできるだけ豊かにするために、コレクションを始めたんです。

当時の館長の方針だったんですね。

貴重な椅子ですから、通常だとそれを何か台の上やガラスケースの向こうに置いて座らせない。という形になるんですが、そうじゃなく、その椅子に座ってもらうということを前提に、収集しようという方針を立てたということは、ものすごく画期的なことだったんですよ。

ちょっと座らせてもらって分かったんですが、座面がどれぐらい硬いとか柔らかいとか、座りやすい、座りにくいみたいなことは、実際に座らないと分からないですね。

そうですね。

椅子の機能とは?椅子の機能とは?

もちろん座り心地の良さという、椅子の役割がある一方で、座り心地だけではない椅子の機能というものもあるんです。

そうですね。

ほう。

空間に椅子を置くことによって、空間が豊かになる……例えば、この美術館はグレーの石造りで、あんまり色がなかったりするわけですけれども、そこに赤い椅子を置くことによって、その空間が別の意味で生き返ってくる。そんな役割も椅子にはあるんです。

『ドンナ』(ガエターノ・ベシェ)1969年

なるほど、はっきりした色の椅子が、いくつかあったのはそんな効果も考えて置かれているんですね。

『マリリン』(スタジオ65)1970年

椅子の機能として、空間を演出する、見て楽しむ、そんな機能も重要なんです。例えば、倉俣史朗(くらまたしろう)の『ミス・ブランチ』などは、そこにあるというだけで、その場所が視覚的にも精神的にも豊かになる。そういう機能の椅子なんですね。

倉俣史朗は、昭和に活躍したデザイナーで、日本のデザインの中でとても重要な役割を果たした人です。『ミス・ブランチ』は、肘掛け、背もたれ、座面が全て透明なアクリル樹脂でできており、座面と肘掛けに造花の赤いバラを埋め込んだ椅子です。

(『ミス・ブランチ』の画像をみて)うわ、これはすごい……これ全部アクリルってことは、そうとう重そうですね。

実は、その『ミス・ブランチ』なんですが、世界に数十脚しかなくて、非常に貴重なものなんですが、そのうち一脚をコクヨが所蔵しているんです。

『ミス・ブランチ』(倉俣史朗)1988年

え! そうなんですか!

数年前、倉俣史朗の展覧会を行ったときに、じつはコクヨさんから倉俣史朗さんの作品をお借りしましたね。

そうですね、お貸ししました。

あ! そうだったんですね!

親友と女友達が「実は前から付き合ってたんだ」みたいな話だけれど、そういうことである。

マッキントッシュの椅子はご覧になりましたか?

あ、はい。……座り心地はそんなにいいというものではなかったですね。

でしょう。しかしまさにそこで、その椅子は、座り心地ではなく、空間を演出するという、そういう機能を重視してデザインされたんですね。

椅子のおもしろさというのは、まさにそういうところにあるんですよ、実際に座るだけではなく、空間のたたずまいであったりとか、椅子があったというだけで人がいたという形跡を感じられたりとか、人の温度を感じるんですね。

椅子それぞれに、それぞれの役割がある。ということですね……おもしろいですね。

椅子は思想の表明椅子は思想の表明

椅子の機能というものをもうひとつ追加でいうならば、例えば時代の思想や、哲学や理念の表明という面も併せ持っているんです……例えば、ジグザグという椅子はご覧になりましたか?

あ、見ました。

『ジグザグ』(ヘリット・トーマス・リートフェルト)1932−33

その椅子の作者のリートフェルトは、オランダの芸術運動『デ・ステイル』に参加して、その理念を表明する名作椅子を生み出していったんです。

『デ・ステイル』は、それまでの古い具象絵画ではあまり使われなかった水平線や垂直線といった直線的な線を強調した芸術運動で、画家ではピエト・モンドリアンなどが有名だ。

ジグザグという椅子には、そういった古い芸術の価値観を超越するという思想や哲学が、込められていたのだ。

今回見た椅子の年表を作ってみた今回見た椅子の年表を作ってみた

というわけで、唐突だが、主に、19世紀から21世紀のingに続くまでの椅子の歴史を、今回美術館で見たものを中心に、年表にまとめてみた。

あくまで、今回美術館で見た椅子を中心にまとめているので、あれが抜けているとか、これがない……といった部分もあるけれど、大まかな流れとしては間違ってはいないはずだ。

そして、さまざまな椅子が、さまざまな目的によって誕生し、素材や形の工夫により、どんどんと進化していったことが分かる。

ingも、今までの椅子の概念を超越している……かもしれないingも、今までの椅子の概念を超越している……かもしれない

過去の椅子を、19世紀以降のモダンデザインの椅子を中心に振り返ってみた。

やはり、温故知新することは、とても重要なことである。

さまざまな工夫や、素材の活用によって、現在の多様な椅子が形作られてきたことが分かった。

そしてさらに、椅子には、ただ腰を掛けるためだけではなく、そこにあることで、ある種の存在感や安心感を演出する……そして、時代の思想や哲学を表明する……といった機能もあるのだ。

ingは、もちろん「長時間座っても疲れない椅子」を目標にデザインされたわけだけれども、そこには、現代のビジネスパーソンに、オフィスでどんな風に働いてほしいのか?という「時代の思想の表明」が隠されている。

今回の取材記事は、そんなNHK特集のようなまとめで終わりたい。

あなたの会社にもいつかingが!? この実験記事をシェアする
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